ロダンは瞬時に才能の息吹

子供の前で、親が物事をその都度考えているところを見れば、子供は自ら考える事象を発見しています。 父親の外国の赴任先で、母親が電話や買い物に行くにも語学の未熟さに悩んで、どうしましょうと苦しんでいるところを見れば、子供はそれほど困らずに、違う国の社会に溶け込む時にも前向きに捉えられるそうです。

成長の跡を残す

相性のいい美術教師の指導作品は、卒業後も自宅で保管されている。 彫刻刀で、立体的に自分の利き手でない方を彫った作品がある。 先に写生したデッサン画もあり、両方とも今と比べると指が短く全体に細い。 子ウサギの耳が、成長したウサギの半分くらいに短く感じるのと同じようで、懐かしい。

親が手本になる

ブロンズ像は、最初彫刻家に「詩人」と名付けられ、「考える人」と鋳造職人から名称を得て、一般人からは思索のポーズの代表にされているようです。
コンピュータも瞬時に動き、悩むのは人間だけでしょうか。
子供にとってコンピュータは、謎のおもちゃなのかもしれません。
電話回線からファクシミリの構造が理解できないオジサンを笑えないほど、コンピュータの操作の指示に逆らってしまって機械が炎上状態で停止することが多くて自分はコンピュータとあまり相性が良くないと思っている人は多い。
要は、事前に人間のプログラミングしたとおりでなければコンピュータは勝手に自分で考えて違う操作ができる訳ではないのに、つい映画の中のロボット然りで、操作する人間の無謀さを受け入れてくれるような妄想に陥ってしまっています。
ファクシミリで紙が空を飛び交うような捉え方をしているオジサンと、違いがないと。
ズバリ、コンピュータの狙いは、子供に論理的な思考を植え付けたい、才能の芽を育てたい、モチベーションを上げて合理的に教育したいのだと感じます。
子供対コンピュータの1対1での、より丁寧で寄り添った教育は可能かもしれませんが、教師の職権を使って臨機応変に学習要領枠ギリギリを渡るような、子供の独創性をその場で理解してその子供に合わせて幅を持たせて教育できるかは、疑問です。
選択肢は少なくなり、画一的な基本の教育には向いているでしょう。
もしブロンズ像をアーティストである「詩人」という名称で認識が広まっていたのなら、生きることに精一杯の一般人の興味もわかず、見向きもされなかったかもしれない。
鋳造職人が意図はなく、今で言うコピーライターの役目で、世俗的に自在に人の心を煽ったようにも。
子供を効果的に育てる先生の存在が重要です。

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相談すること

集団行動が少し苦手、先生から受ける指示がわからない等の、少し違うと言われる子供の中には、病気が認められるケースもあります。 得意なことはよくできて、難しいことがあるのも認められる。 先生からも遠回しに普段の様子を聞かされて少し不安がある時には、病院に行って相談してみることも大切です。

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